
思いもよらぬ父の発病
古澤さんが20代の頃、経営者としてバリバリ仕事をされていたお父様が不調を訴えるようになりました。「風邪ひとつひいたことのない父が、50代半ば過ぎから、肩や首の痛みを覚えるようになり、その原因が前立腺癌の骨転移と分かった時には、既に余命半年。手術は出来ず、治療法は放射線と抗癌剤だけという宣告でした。父には初期の癌と告げ、すぐに放射線治療を始めました。一時的に激痛は消えたものの、今度は抗癌剤の副作用で激しく嘔吐する父を見て、これでは癌細胞が死ぬ前に父が死ぬ、と思いました。」
古澤さんは初めて他の療法に目を向けましたが、当時は情報が少なく、やっと出逢ったのが『ゲルソン療法』という厳格な食事療法でした。ゲルソン博士の「人間には本来、治癒力や免疫力が備わっている。それを高めるのは食であり、癌を退化させることも可能だ」と言う考えに納得し、直ぐに取り組もうと思ったのです。
「しかし、お医者さんを神様のように信じていた父は、食事だけで癌が治るはずがない、の一点張り。運が悪くて癌になるのではなく、『原因』があっての『結果』です。そこに、自ら責任をとって治療に取り組むべきですが、父は医師に依存的でした。私は父に現状を告知し、同時に、実際にゲルソン療法で結果を出している知人を紹介しました。自分次第で生きる可能性が広がることを知ってほしかったのです。それでも父は、病院の治療を断っては先生に悪い、2回目の抗癌剤治療は受ける、と譲りませんでした。」
この2回目の治療の副作用があまりにひどかったため、古澤さんとお父様はゲルソン・クリニックへ向かう決意をしました。
メキシコへ、ゲルソン・クリニックへ飛ぶ
衰弱して歩けないお父様に付き添ってメキシコへ向かった古澤さんは、心労のあまり、ゲルソン・クリニックに着いた途端、激しい胃痛に襲われました。クリニックでコーヒー浣腸を勧められ、戸惑いつつも試みると、たちまち胃痛は消え、さらに食事の素晴らしさに古澤さんのクリニックへの信頼は確かなものとなりました。
「ところが父は、不安とストレスから心を閉ざし、食事療法には不満だらけ。そんな父に、ある末期癌患者さんが『イサム(父の名)、キープ・ユア・スマイル!(笑って!)』と話しかけたのです。これで父は一変し、前向きに取り組み始めました。」
古澤さんは現地で、ロジャー・ウィリアムス博士の栄養学の本を2冊読破し、「健康とは、人間の60兆個の細胞11つ1つが機能的に活動すること。細胞に必要な栄養を摂れば体の機能は回復し、かつてないほど健康になれる」ことを学びました。カロリー計算が主な日本の栄養学との違いに、目からウロコが落ちる思いだったそうです。
「クリニックで2ヶ月過ごした父は、体力が回復し、ザラザラだった肌はすべすべになり、癌は残っていましたが、精神的に明るくなって元気に帰国しました。」
帰国後、お父様はすぐ仕事に復帰。ご家族からの全面的なサポートを得て、クリニックと同様の食事をし、軽い運動をし、赤外線温熱療法で芯から温め、皮下脂肪に溜まった重金属を排出させ、漢方薬を飲み、自己管理するという意識をもって生き始めました。
医師からの太鼓判で気がゆるみ…
「2度の抗癌剤治療から4年が経ち、父は病院で検査を受けました。前立腺癌は消え、骨転移は残っていたものの、痛みもほとんどない状況でした。医師は抗癌剤が効いたと思い込み、『もう大丈夫!あとは薬だけで行けますね』と言ったのです。これで父は生活を元に戻してしまいました。1年後、体調を崩して入院。病院での点滴で父の食欲は減退し、逆に癌細胞は増殖。翌年、父は亡くなりました。」
ひき継がれる命のリレー
古澤さんとご家族は、お父様とともに闘病し、生きる質の大切さ、病気予防の大切さを学んだといいます。
「家族の愛に支えられたことに、父がとても幸せを感じてくれて、本当に良かったと思います。その後、私は出産し、生まれたての子供を抱いた時、こうして命はリレーされ、世代は代わる、と実感しました。聞けば、日本は小児癌が世界一多いといいます。父の病気を通して学んだ予防医学や栄養について、次世代に伝えられる活動をしようと思いました。それが父の死を無駄にしないことにもつながりますから。ロジャー・ウィリアムス博士の本に『この栄養の可能性を知った人は、多くの人に伝えて下さい』とあります。私はメッセンジャーの一人として、自分が知り得たことを発信するのが使命だと思っています。」
古澤さんは、深い悲しみを乗り越え、現在は学校やクリニックなどで、幅広い年齢の人々に向けて講演を行っています。古澤さんの澄んだ声は、尊い命を育てる食事の大切さを暑く伝えています。
古澤貴子
アメリカでゲルソン療法、正常分子栄養学を学ぶ。
サイモントン療法認定カウンセラー。 現在、栄養指導や講演活動を行う。
| |