
ヴァンクーヴァーの一週間は「日月火水木土日」である。そういうと「つまり休日が多い怠け者の日々というわけですね。もうちょっと真面目に原稿を書いてくださいよ」と、編集者に睨まれるのだが、なにしろ私はもう「林住期」なのだ。そして、ここの週から「金」が抜けていることにご注目いただきたい。勿論まったくお金無しに暮らせるわけではないが、いかにも「足るを知る」という感じの簡素に充足した環境なので、物と情報が溢れかえりこれでもかこれでもかと欲望をかきたてられ消費を促される日本に比べて、お金を意識することがはるかに少ない。その代わり、日、月、火、水、木、土などの、お金に換算できない価値を満喫しながら暮らしているのだ。
まず空港に降り立つたびに、なんと光が美しい街なのだろうと感動する。どこでもお日様に変わりは無いはずなのに、クリスタルな大気の中を降り注ぐ陽光の爽やかさは他に類がない。
空が澄んでいれば、機嫌がいいのはお日様だけではなく、お月様もまた皓々と冴え渡る。ぎらぎら明るすぎる東京の夜景の中では忘れていたお月見の習慣を取り戻して、私は毎晩一度は月を眺めるようになった。月の満ち欠けを意識して暮らしていると、大自然のリズムと人間の生理の本源的な繋がりが、遠い記憶のように蘇えって来る。
火は団欒の象徴であり、客のもてなしにも火は欠かせない。大事な客を招くと、冬でなくても暖炉に火を入れる。はじめから話が弾まなくても、ともに火を眺めるだけでお互いの構えが熔けていく。暖炉は身体より心の暖をとるためにあるのだということがわかってきた。食卓の蝋燭も、ゆらめく炎がもたらす祝福の波動で食事を特別なものにする。もっとカジュアルなもてなしなら、屋外のバーベキュー炉で火が大活躍し、太陽や月や風や景色も盛大に応援してくれる。
水はもう、その母なる海を、毎日窓から眺められる環境だから、それだけでも心が安らぐ。海辺で育った私は、わが人生の最上の資産である健康な身体としなやかなバランス感覚を、この「母」から与えられたのだ。だから水泳や入浴の機会を「胎内回帰」として大切にしている。これからは美食よりも美浴の時代だと宣言して、ヴァンクーヴァーの浴室には深いジェット・バスを入れ、浴槽の回りにさまざまなアロマテラピー・グッズや観葉植物や蝋燭を置き、書物や飲み物も持ち込んで、ぬるい湯でゆっくりと入浴するという、贅沢な癒しの時間を楽しんでいる。
森の町ヴァンクーバーだから、樹木との交情は深まるばかりである。
鬱蒼と茂った雑木林を歩いていると、そこに多様な生命がひしめいて、競い合いながらも援けあって生きているのが次第に見えてくる。
倒れて朽ちた木に生えた若木の緑に、生と死の循環を実感するのも、老年を迎えつつある私にはいい励みになる。
都会暮らしで疎遠になっていた土とも再び親しいつきあいが始まった。庭の片隅を畑にしただけでも、食べきれないほどの野菜ができて、土の力を思い知らされる。ごみの収集は週に一度二袋までという町なのでごみ減らしの一環として生ごみは堆肥にする習慣もついた。正真正銘の有機野菜だから、生でも皮ごとでも安心して食べられる。
このように、日月火水木土が毎日寄ってたかって健康を援助してくれるから、私は還暦過ぎてからのほうがよっぽど心身快調だ。
しかしこの自然環境だけは土産に持ち帰るわけにいかないのである。東京に戻るのはいいけれど、かつての「マンション豚」には戻りたくないから、せめてカナダの自然を凝縮した健康食品やサプリメントを援軍にして、体調や体型の維持に努めている。その援軍物語は次回に書きたい。